アラランランド

中年の危機からウェルビーイングのかたちを探していく

心が落ち込んでるいるときにやるべきこと

 

心が落ち込んでるときにやるべきこと

 

アルコールとニコチンは一番だめ

自力でドーパミンを出していないので

切れたときにまた元にもどるか

もっと悪くなってしまう。

 

自力でドーパミンを出す方法を

探して実行しよう。

 

運動

太陽を浴びる

部屋を暖かく

体を温める

趣味に没頭する

目標に向かう行動をひとづつする

 

 

苦しいからといってお酒をあおる

 

毎度やってしまいます

 

やめようとすればするほど

 

反動がおおきくなっていってしまう

 

この弱さはなに?

 

弱いから落ち込んでるんじゃないか?

 

落ち込んでるときに強くありたいと

 

思うことが

 

それでまた疲れる

 

寝るのが一番なのだよね

 

人を愛する気持ちがなくなる前に

私のなかにようやく芽生えた小さな心

 

人を愛する気持ちがなくなる前に

 

ひとりのひとと愛しあいたい

 

1秒でもながくキスをして

 

1分でもながく抱きしめて

 

1時間でもながく見つめて

 

1日でもながく愛を伝え

 

1ヶ月でもながくそばにいて

 

1年でもながく笑って

 

ずっと仲良くしていたい

 

覚悟

成就する見込みの少ない

 

片思いの恋に苦しむなら

 

満たされることなく

 

悶々と過ごすのなら

 

愛なんていらないと

 

いって

 

自分の気持ちを抑えた方が

 

気持ちが楽になる

 

だけど本当の気持ちは

 

悲しいに変わらないが

 

その悲しさを和らげる効果がある

 

そのことを忘れた頃に

 

自分が小さく感じ

 

悲しくなることがあるけど

 

またそんなときは

 

思い出したい

 

決まったことを淡々とやる大切さ

決まったことを淡々とやる人がいるから社会生活が成り立っている。

派手なことや目立つことが注目されやすい。ただ身の周りにあるサービスは淡々とやる人たちがいることによって成立している。この淡々とやる人たちがいなくなったら混乱が起きる。

夜の雰囲気

コロナ後になり自由に気兼ねなく飲みに行けるようになった。コロナ前に比べ物足りなさを感じる。私自身の寂しさや孤独感からくる個人的な内面的要素も多いに影響しているところもあるけどもサービスを提供しているお店も様変わりしたと感じる。店主が引退してしまっていたりや亡くなってお店がなくなったところもある。従業員は入れ替わったり、飲食店の先行きの見通せない雰囲気が直接伝わる。物価高による仕入れ価格上昇と賃金上昇、それを販売価格へ転嫁することによるお得感のなさ。価格転嫁していないところは質と量を下げることで価格維持しているところもある。お客も会社の経費をバンバン使うということもコロナ禍からまだ回復がまだまだだ。わざわざ会社の人とムリに飲みにいかなくてもいいだろうという思いが、断りやすくなった環境変化もお店の雰囲気に伝わる。団体を受け入れる準備が整っていないし団体の飲み会を好んでやる数が減っていて活気がなくなっている。その分静かにゆったりと飲むのかと思う。

心理的安全性を求めているが

心理的安全性を求めている。だが常に不安である。圧倒的な不安感である。その不安感を感じないようにお酒をのむ。タバコもやめていたのに吸い始めてしまう。もうどうでもいいと考えてしまう。

それでは解決しない。いつ解決するのかこの不安感はどうすればいいのか。睡眠と朝散歩なのか。思考の停止を求めてしまう。音楽なのかお笑いなのか。

人生はゲーム感覚で考えようとしたがそれは違っていた。プレイヤーの脳の機能が低下してしまったらゲーム感覚すらなくなってしまう。そもそもゲームだとしたら感じる感覚が少ない。感覚は想像の範囲内でしかない。現実世界ではさまざまな感覚がある。痛みや苦しみ疲労、体調不良、臭覚、味覚など実際に受ける感覚はゲーム感覚とはかけ離れている。

 

心理的安全性を求めること自体に違和感がある。守るべきものがない。自分だけを守るという行為自体に味気なさを感じる。

 

そんなこと考えている

まいったねー

幸福という山、不幸の谷

幸福という山

不幸の谷

 

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人が感じる幸福度は変化する。

「年収が70000ドルを超えると幸福度はそれ以上あがらない」

「結婚して2年経つと幸福度がなくなる」

「宝くじに当選しても幸福度があがるどころか当たる前より下がってしまう」

などの研究結果から感じることは、幸福感というものは長続きしないということ。

幸福度の上昇と下降をそれぞれ味わって、上昇時の熱狂はいずれ冷めてしまう。

冷めていく過程と冷めたところで幸福感は無くなってしまうのだろう。

とはいえ人は幸せになるために生きているのだから、幸福を追い求める。

いずれ冷めてしまうと分かっていても、とにかく体験してみたいものである。

 

またね。