アラランランド

中年の危機からウェルビーイングのかたちを探していく

ゲームだと考えよう

春が来て明るく陽気な気持ちだ。暖房をつけなくても寒くないというだけで元気がでる。私だけでなく多くの人が元気がでてきている。花粉でムズムズして春がキライという人は苦しそうである。

 

この春の季節に思い立つ

この40代の苦悩

もうゲームだと考えて行動しよう

目的を達成させるゲーム

やり直しのできないゲーム

だからこそ真剣になれる

 

自分というキャラクターを操作するプレイヤーになるのだ。

 

自分という感情と感覚は否定できない。

空腹

疲労

寒さ

暑さ

退屈

悲しみ

喪失感

退屈

屈辱

快楽

 

などの不快な感情や感覚をいかに軽減できるか。対策をする。

 

対策をしながら自分というキャラクターを育てていく。

 

今は3月だ。

 

12月上旬までに厳しいことに取り組む

 

12月後半は寒くなり、世の中の浮かれる雰囲気に私というプレイヤーは動揺しやすい。

 

環境の変化に細心の注意をはらう。

それは体調と気分に直結する。

天気

気温

睡眠時間

 

開放感に浸らない

休みの前の日など拘束がとかれ自由になる時間がはじまると、開放感に浸り、酒飲んで、好きなだけ寝る。そしてまた酒を飲むの繰り返し。建設的ではない。破滅的思考が加速する。

 

死ぬまで残された時間は限られている。どうでもいいと自分というキャラクターを放置し死に急いでいるとしたらさらに残された時間が短くなる。

 

ではまた。

見るドラッグ ブルーロック

見ているだけでドーパミンが出るアニメ「ブルーロック」

ナンバーワンストライカーを育てる青い監獄。

プレーヤーの特性を活かし戦うことによって、特性が進化していく。

想像を超え新たな力を獲得してストライカーとしての能力を開花させていく。

 

アニメを見ているだけなのに

感動と興奮を生み出す。

ジグソーパズルのピースがバラバラと浮遊してつなぎ合わさる演出と

瞳から崩れ燃え上がる闘争心の表現。

煙モクモク、雷バチバチ

熱くなりますね。

 

またね。

 

冷めて暖めて繰り返して熱狂になる

連続ドラマにハマってしまう。週間雑誌の漫画にハマってしまう。ネットの動画配信があり一気に見ることができる。リアルタイムで放送や連載を見ると、毎週楽しみに、時には続きが気になって苦しんで待っていた。そのことで頭がいっぱいになってしまうこともあった。漫画スラムダンクの連載時は、続きが待ち遠しくてバスケで頭がいっぱいで、サッカー部なのに空き時間にバスケばかりやっていた。

 

熱は移動するし、熱は暖めて冷まして暖めて繰り返すことによって熱狂が生み出される。暇だった。暇だったから熱狂できた。他のあれこれがないからこそ熱中できる。余計なことが多すぎる今は熱が熱狂に変わる前に終わってしまう自分に気づく。

 

熱を冷まして、また熱くなる

 

またね。

小さな熱狂

不意に飲みに繰り出す。店員さんを巻き込んで大騒ぎして飲む。ネタはなんでもいい。大きな声で乾杯。気分はあがってくる。ニコニコして話す。とにかく楽しそうに楽しそうに話す。いつのまにか楽しそうから楽しいに変わっている。店員さんと他のお客さんにも伝わり熱狂の渦ができている。

 

明るく楽しめる自分がいて安心する。楽しい気持ちを呼び起こして誰かを笑わせることがまだまだできるんだと思えれば元気になる。

 

まだこんなに明るく楽しめる自分がいるということを確認しに行っている。反動で次の日の脱力感もえらいこっちゃだけど。

 

またね。

いつ幸せか

苦労していないと生きている気がしない。連休になっても何にもやる気が出ない。連休の予定を考えることをしていない。どこかに行こうと思うが何か違うような気がして行動に移せない。家にこもって本を読んだり動画を見ていた方がいいと思ってしまっている。そのほうがからだが楽だしお金も使わない。仕事はバテるくらい限界まで働く。そこから解放されて家に帰り風呂に入り横になりボケーっとする。これが一番の幸せと感じる。今日も頑張った私えらい。と思えればそれだけで幸せと感じる。休日は有意義に過ごそうと意識したときから幸せに感じられない。有意義な時間であったと思える時がほとんどないからである。何かをしたとしてもこんなもんかということがほとんどだからだ。なにか楽しいことを追い求めても楽しいというハードルが高すぎて、仮に楽しんだとしてもそれ以上に疲れや浪費が付いてきて楽みを感じることが薄まってしまっている。

苦労をしている時にこそ幸せの道があるのか?

人生の主役は自分

どんなに考えを巡らせても、やはり自分は主役だ。だから他人に対してもひとりひとりが主役だと思うことができる。自分が謙遜してしまう態度でいることもあるし、他人も謙遜しているときもあるけども、やはりそれは謙遜でる。誰もが自分が主役と考えて生きているではないか。私なんてどうでもいいと悲観的に見ているときがあるかもしれないけどそれでも主役でいることには変わりがない。相手を立てることを優先する。生きることは自分が主役と考えていなければ楽しくない。自分自身を楽しませることもできない。自分が何がやりたいのかすら分からない。そんな状態になってしまう。

誰かに自分を委ねることに疑問を抱く。ほんとうは我慢している?そうよ。違うと気づく。

 

気づくのは自分しかいない。

細かいルール

間違いに気づく。

そんな自分に落胆する。

そしてどっと疲れる。

 

知らなかったこと

知っていると思っていたこと

それが間違いだったと気づく

 

知らないルール

暗黙のルール

先人たちの思考の結果

いつのまにか出来ていたルール

いつのまにかにルールになっていた

 

知らなかった

知ろうとは普段からしてはいるが

知らなかった

 

それが正解なのかどうかすら分からないのにも関わらず

ルールだからと指摘される

 

答えは日々変わる

そしてルールも変わる

 

毎日変化するルールに

頭の中はルールのことばかりでいっぱいだ

いっぱいになった頭には柔軟性を失い

間違いが起こらないように

ルールに則った動きだけしている

 

それだけであたまがいっぱいになる

 

またね