アラランランド

中年の危機からウェルビーイングのかたちを探していく

企業の生産性追求の結果は

生産性があがり利益が増えたとしても労働者に直接還元はされず、社用車を買い替えたり、役員報酬ばかりが増える。気持ちばかりの福利厚生や飲み会の開催が増える程度だ。労働者は残業がなくなり、サービス残業もなくなり、余暇を持て余し、ゴルフやレジャー、酒を飲んだりアニメやドラマを見て消費活動にふけ生活が苦しくなるなるひとも増えているかもしれない。

雇用者側からすれば少数精鋭で人件費が減っていくことは歓迎するだろう。生産性があがればまず真っ先に人減らしを考える。

人は暇には耐えられない生き物。そこから新しい活動が生まれる期待もある。そんなに単純だったら楽なものである。全員がそうなるわけにはいかない。

 

大企業、中小企業、利益分配率はそれぞれ異なってはいるが。ファンダメンタル的な流行りに乗って動く。うちはこうだ。よそはすごいよね。などと言ってはいるがいずれはその中間を目指す。新規人材に対して世の中にアピールするためにも多少なりとも動きが生じてくる。

 

内部留保、利益を貯蓄や投資し資産を増やしそのなかで役員報酬をやりくりしている企業。

当然なことである。余力がなければ他の選択の金策に走らなけれならなくなる。資産を売却したり、事業を売却したり、増資、社債、借金をして自由度が減ってくる。そんなために経営しているんじゃないんだと太々しく言い放つだろう。余力はあるにこしたことはない。

 

多重下請け社会。人やモノを抱えたくない大企業は下請け企業を通して必要な時に利用する。面倒なことはお金を払って必要な時に必要なだけ使おうとする。

 

社員の所得は乱高下させると、毎年増加する右肩上がりならいいが、大幅下がると翌年は税金保険負担が増え手取りが大幅に減る。働く意欲をなくさないためにも社員のために下がらない配慮がされている。大幅に上がることはほとんどない。

社内の経理も売上と費用は計画に基づいて動いている。予想外に増えることも減ることよりもある程度計画に近いことがよいとされる。

 

終身雇用という幻。使用人として懸命に働いても、ある時、病気やケガや組織的なイジメであっという間に追い出されることがある。仕方ないと諦めるか。他にどうするか。

 

またね。